エッセイ「梅雨の日々にひるむ苦手な季節の楽しみ」

 akiramaの日々のいろいろなエッセイ

by Pixabay

水無月の6月。何で梅雨時の雨が多い月が、水の無い月なのかと調べたら、国立国会図書館の「日本の暦」で、暦の中のことば、和風月名にありました。ここに引用します。

6月 水無月(みなづき、みなつき)水の月(「無」は「の」を意味する)で、田に水を引く月の意と言われる。

by Pixabay

そうか、水の無いところに水を入れるわけだ。なるほど。田植えが近づくと、用水路には、滔々とした流れができ、良く見ていると水がたまる流れの弱いところには、小魚がいます。ずいぶん遠くの方から流されてきたのだろうか。田んぼに限りなく水が注ぎこまれ、いよいよ田植えの準備が始まります。

か細く見える稲の苗が植えられた田んぼは、まだまだ水面だけがやたらに目立ちますが、秋には頼もしいほどに育った、黄金色に輝く稲になり、また、米のうまい季節が来ます。

あわじ石の寝屋緑地に遊べる田んぼがあります。稲を育てる田んぼではなく遊ぶための田んぼで、生き物もいます。真夏に泥んこになって、子供や昔の子供が遊ぶには持って来いですが、梅雨時の風景でなく、夏の風景ですね。

苦手ですが、雨が降らなくては農作物も海の生物も育ちません。梅雨は、生物を育てる大事な季節ですが、薄暗いところが苦手な私には、梅雨と秋の長雨、冬の曇天続きの天気には、どうにも萎えひるみます。

by Pixabay

あじさいは、6月を代表する色合いのひとつでしょう。多くの花は、晴天日に見て映えるが、紫陽花だけは雨降りに映えると思うのは、私だけではないでしょう。葉っぱの横にカタツムリでものたりのたりとしていたら、きれいな梅雨のシーンが出来上がります。

アジサイの花は、土壌の酸性度によって色が変わり、酸性ならば青、アルカリ性ならば赤と聞きました。私にはどちらもきれいに見え、ホッとする気分を味わえます。あの花びらだと思って見ているののは「がく」で、花弁はその中に小さくあり、オシベやメシベも見えます。得意そうにこれを説明した御仁から聞いたものですが、これでまた知ったかぶりができそうだ。

近所の魚住住吉神社に見事な紫陽花園があります。多くの方々が訪れれ、見事なあじさいが咲き誇り、梅雨の季節を華やかにしてくれます。原種は日本古来だそうで、色や姿は神社やお寺に咲いていると、難しいことの多い昨今に心落ち着く気持ちを得れます。

by Pixabay

庭のキュウリが存在感を出し始めた。蒸し暑い日に塩もみで食べるとおいしく、体温を下げてくるという夏の野菜です。隣のナスも大した出来栄えではないものの、きれいな色の実をつけ始めました。これから、夏にかけてたくさんの実をおいしく食べたいですね。ここでも梅雨の雨は、実りに結びついています。梅雨が明けたら太陽光をたくさん浴びて、グンと成長するのでしょう。

あなごを焼くにおいは、たまらなく美味い

あなごを焼くにおいは、たまらなく美味い

チンアナゴ 鳥羽水族館で見つけた

チンアナゴ 鳥羽水族館で見つけた 身体のほとんどを潜らせている

あなごがうまくなる季節です。冬が良いという向きもあるが、夏が本場だと思っています。ウナギも美味いですが、あなごも美味いです。香ばしい味わいは、やはり夏の味のようだ。輸入物が多い中、播州播磨灘のあなごがうまいが、広島の宮島口駅にある駅弁あなご弁当は。これまた旨く、瀬戸内海の産物で、おいしい食材なので、あなご屋さんに出向くことになります。

あなごは、昼間は、砂と泥の海底に穴を掘って、頭を出しているようなことをしていますが、尻尾から穴を掘っていくのだろうか、それとも頭から掘って、中で方向転換するのだろうか。わかりません。あなご釣りをすると、夜は泳ぎ行動しているので、普通の魚のように引きますが、昼間に穴から頭を出している目の前にエサが来たものだから、がぶりと食いつく。そうすると、ズルズルっと穴から引きずり出す感覚が手元に伝わり、全体を引っ張り出されると泳いで引きに変わります。さばくのもたいへん。とても、あなご屋さんのようにはいきませんが、とりあえず、開いて焼いて食べればおいしく、わさび醤油とビールはあなごの夏の友達です。

梅雨が終われば楽しみも多くなります。

by Pixabay

今年の夏至は21日だったが、4時過ぎには明るさが出て、夜も8時前までなんとなく光が残っている季節です。日の出が7時過ぎになる冬に比べれて、夜明けが早いのは明るいところが好きなだけに、とてもうれしい。自分でどうにかできないことだけに得をした気分です。しかし、真夏になると、早朝のひんやりした快い空気も一気に上昇し始め、10時には暑いとぼやき始める。それでも、雨が続くより気分は上々。

思いついたこと、日常でのちょっとしたこと、日々の出来事などをmini版で書いています。何気なく生活していると、心躍ることや残ることが出てくるもので、それを文字にしてみたく始めました。