エッセイ「巣籠から出て、初夏の日々」2020 May

 akiramaの日々のいろいろなエッセイ

今年、新春から全世界を震撼とさせたコロナ禍に襲われた。緊急事態宣言は解除されたが、未だ発症があり、医療関係者の奮闘が続き、終焉が見えない怖さが続く。

そして、日々の時間が過ぎて暑さがじわじわと迫ってきた。暑い暑いを連呼はするものの、私の場合、寒い冬よりもはるかに行動力がある。勿論、春や秋が良いに決まってはいるが、寒い冬は動く気にならない。それでも、年とともに夏の暑さがつらくはなったが、半年先の寒さの方がもっと苦手だ。

茄子が花をつけた。この色合いは、まことにきれいだ

茄子が花をつけた。この色合いは、まことにきれいだ

巣籠中に植えた茄子と胡瓜が花をつけた。夏だ。茄子の花の色合いが、とてもきれいで眺めていると、早くそのおいしい実を食べたくなる食いしん坊だ。茄子の花の色合いは、野菜というより、花屋の一角にあっても不思議が無い、日本古来からの色で落ち着く。

胡瓜よ。たくさんの実をつけておくれ。好物なんだから。

胡瓜よ。たくさんの実をつけておくれ。好物なんだから。

胡瓜もうまい。単純に塩もみを冷やせば立派な肴で、夏にはかなり重宝だ。実ができ始めると、一気に増えてくる。毎年、取り忘れて瓜のように大きくなっているのがあるが、家庭で作れば楽しい。

山椒の苗を買った。鉢に植え、どう育つかと楽しみにしている矢先に、肝心の葉っぱをすべて食ってしまった輩がいる。癖の強い山椒の葉であるが、アゲハ蝶の幼虫の好物だそうで、苗木を丸裸にしてしまった。ひどいものだが、蓼食う虫も好き好き、山椒を食べ過ぎて舌が平らにならないものか。

山椒の葉をアゲハ蝶の幼虫に丸裸にされたので、防虫ネット。

山椒の葉をアゲハ蝶の幼虫に丸裸にされたので、防虫ネット。

山椒の葉、よくぞ復活してくれた。憎きアゲハの幼虫

山椒の葉、よくぞ復活してくれた。憎きアゲハの幼虫

せがれが小さいころ山椒で舌が平らになると言ったら、どういうことかと聞いたので、多めにかけて食べるとわかるぞ教えた。「わかったーー」と奇妙な顔つきで答えたのを覚えているが、何事も経験である。

そう言えば、てふてふとアゲハ蝶が飛んでいたが、あれのせがれや娘だ。手遅れかと思ったが、防虫ネットをかけてしばらくすると葉が出てきて、復活をしてくれてホッとした。

夏日の1日、釣ったタコから小さいのを快晴の日に干した。小さめのタコをザルに載せて天日をまともに当てながら1日、良く干しあがり旨味を強く感じさせる香りが出てきた。売り物や漁師が自前で作るのは、見事な奴凧のような形にできあがっているが、味は一緒だ。

干しだこ。これで作るタコメシは格別の味わい

干しだこ。これで作るタコメシは格別の味わい

これを適当な大きさに切って水で戻し、炊飯器に入れてご飯を炊けば、「タコ飯」だ。とにかくうまい。タコの旨味成分は多いが、それを天日に干して凝縮させている恩恵が強い。この時に、アゲハ蝶にやられた山椒の葉をチョンとのせると香りが引き立ち、見え方もきれいになる。タウリンたっぷりのタコや手作りのおいしいもので、夏に向けて元気にならなくては。

このタコ飯の問題点は、食べ過ぎることである。2合は楽勝で、暑くても冷めても美味い。明石タコだからのたこ飯で、、これは少しは自慢ができるおいしさだ。

たこ飯の旨味は、干したからでこそで、生を入れてもこうはいかない

たこ飯の旨味は、干したからでこそで、生を入れてもこうはいかない

ウイルスとの共存などと言われるが、共存ではなく負けないことだ。たたんでいた羽を少しずつ伸ばして、生活を作っていきウイルスに勝たなくては。