エッセイ「雨の一か月を過ごした7月のいろいろ」

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 akirama 日々のいろいろなエッセイ

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暦7月を文月(ふづき、ふみづき)と呼び、新暦でも同様に用いられ、七夕の行事に由来する名称と言われる。新暦での七夕行事なので、織女と牽牛の二星や天の川を当日見れるチャンスは、なかなか少なくいつも雲が覆っている。これは、旧暦の楽しみだ。

大きな蓮の花が咲くのも7月だが、蓮池を眺めると、極楽浄土の趣を感じ、本当にきれいな大輪で、気品を感じさせられるから不思議さがある。

レンコン畑と蓮池は違うのかと思ったら、蓮は植物名で、その地下茎がレンコンで、観賞用と食材としての畑は、親戚同士だった。レンコンは蓮根で、まさに蓮の根である。レンコン畑も、大きな葉が開いている隙間に地下茎から水の中を伸びてきた大きなつぼみが、ボコンという音が出そうに開き、見事な花を咲かせている。しかし、花は見事なれどレンコン畑では、レンコンミンチやてんぷらに煮付けを連想してしまう花より団子の私だ。

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7月は夏のイメージだが、旧暦だと六月で、その大半は梅雨で重たい空の下にいることになる。雨が降らなければ自然環境が壊れるが、降りすぎると街が壊れる。地球温暖化の影響で、水蒸気が多くなり、降り始めるととんでもない豪雨になると、天気予報は言う。

雨、暗い、寒いが苦手な私には、梅雨と真冬の曇天は苦手だ。暑い暑いとぼやくだけぼやくが、ぼやくだけの元気があるので、真夏の晴天日が好きだ。でも、年とともにきつくなってきて、ぼやかず萎えることが増えた。

地球が豊かな自然を持つ美しい天体であるのは、四季があるからだと聞いた。なるほど。四季が変化する生活をしていると、その恩恵を理解しなくなり、春や秋のノホホンと温かい日々や、快適で爽やかな空気に包まれる日々だと、刺激がなくなりよろしくないことが生まれるのだろう。

梅雨明けには雷が3回鳴り晴れ晴れと夏になる。そして、梅雨明け10日、10日間は快晴の安定した夏の天気がお目見えすると言われてきたが、最近の梅雨明けはなんとなく明けた感があり、その後は未練がましく雨模様も多い。少なくとも、コロナ禍で日々の生活が一変した本年は、夏の天気くらいはスカッとしたい。

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夏の野山を歩いてみたいとは思うが、そう簡単にはいかないだろう。雲に押されるように、蒸し暑い梅雨の日々を過ごした後の真夏の晴天日は素晴らしいとは思うものの、炎天下の体感気温は40度を軽く超える。やはり、歩くのは無理がありそうで、冷たいものを抱えてのピクニックが限度いっぱい。

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7月の1日か2日くらいに「半夏生」という雑節があり、昔は、「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は農作業も休むと説明がある。いずれにしても、本格的に暑くなる前の区切りということになり、この日は禁忌や食べものの習慣が各地であり、兵庫県の播磨地方では、この日にタコを食べる。タウリンたっぷりの栄養食品なタコ、それもうまい明石タコは、この地の夏の食べものとしておいしく幸いなものでしょう。

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タコを食べる半夏生に、ウナギを食べる「土用丑の日」。土用は、立夏・立秋・立冬・立春前の約18日間、十二支で表す丑の日に食べること自体も何かの曰くがありそうだが、今年の土用丑の日は7回で、冬にもある。立秋は8月7日で18日前の土用期間に十二支一巡で、夏の丑の日は7/21と8/2となる。

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しかし昨今の鰻の価格の高騰は目を見張るばかりだ。コロナ禍で家ごはんとかなと思うものの、何日か前に焼いた鰻が1匹3000円近い値段でスーパーで売っている。少々考えてしまうもので、まあ、土用丑の日で高騰もあるだろうから、時期をずらして堪能したい。高砂市に持ち帰り専門の鰻屋さんがあるので食べたい。やはり、美味いので食べたい。

来8月は、タコを食べて、ウナギを食べて、おまけに旬のあなごを食べてと、雨で出歩きにくく、長かったお家時間を晴らしたい。

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国内外の川をカヌーで旅をしたカヌーイストの野田知佑氏のエッセイで、川遊びをしてテナガエビを獲って、竹串を刺して焼いたり素揚げにして食す、というのを何回か読んだ。素晴らしい肴でしょう。清流でテナガエビを獲るなどとは羨ましい限りだ。そんな清流でも、山の木々の手入れが行き届かず、土砂が川に流れ浅くし、水量が減ったというお話も何回か読んだ。

私らの年代だと子供頃は自然が豊かでという話をするが、今の子供たちが半世紀したら、どのような話題になるのだろうか。少し寂しさを感じる。地球温暖化以外にも、自然を守っていくために随分とやらなくてはいけないことが、なかなかできなくなってきているようだ。

思いついたこと、日常でのちょっとしたこと、日々の出来事などをmini版で書いています。何気なく生活していると、心躍ることや残ることが出てくるもので、それを文字にしてみたく始めました。