akiramaの日々のいろいろなエッセイ
師走を迎えた。何かが少し違う今年の12月だ。
12月初旬は暖かな初冬であったが、中旬からは寒波に見舞われ、暮れに一旦は緩んだものの寒さは厳しく続き、初めての本格的な寒さだけに身体が慣れていないのも、寒さを強く感じる要因だが、風が強かった。
お決まりの西高東低の気圧配置になり、日本列島を8本もの等圧線が横切れば強風。1本4hPaだから、32hPaの気圧の急坂を大陸の冷たい空気が駆け下りてくる、こりゃ寒い。体感温度 一般的的には、1m/sの風で1℃下がるとされるが、10m/s以上の風が吹いて気温10℃でも0℃に感じるわけで、そりゃ寒く、この冬の始まりは例年以上に風が強かった印象だ。
真夏の暑さには、「暑い暑い」と罵詈雑言をつけて文句を言ってうっぷん晴らしをするが、冬の寒さはひたすら縮こまり、おまけに、鉛色の冬空になればもういけない。寒さは、言葉少なく、意気消沈をさせ、憂鬱になる。行動力が減って、縮こまった12月だった。
寒い時に「生姜」「ジンジャー」は、洋の東西を問わず昔の人が見つけた温かくなれる食べ物の素材。お茶は素直に温かい。甘党は、甘酒か。辛党は、生姜たっぷりに具沢山な汁物で熱燗か。いずれにしても、生姜は身体が暖かくなる成分が豊富で人類の知恵かもしれない。
クリスマス前の新聞にこんな記事が掲載された。
気象庁が続けてきた、ウグイスやアブラセミの初鳴きやもんしろちょうキアゲハにトノサマガエルの初見にタンポポやチューリップの開花など、51種目の動植物観測を2020年で終了するという内容だった。
「生物季節観測の種目・現象の変更について」の気象庁のお知らせ
生物季節観察。こんなアナログなすてきなことを続けて、どこがいけないのか。
観測中止の理由は、個体数が減って初見などが寒暖の差ではなく発見力になっているから、やめるということだ。
でも、明石市の住宅街の我が家では、ウグイスは毎年下手な鳴き声から始まり、すばらしい声を披露しているし、セミはうるさいほど鳴き、キアゲハの幼虫は、私の山椒の苗を丸坊主にした。ご近所のツバメの巣が賑やかになるのを羨ましく見た。タンポポにチューリップなんて珍しくもないが。もし、個体数が減ったのも自然の移り変わりだし、それも変化でしょう。
確かに外来種も増え、トノサマガエルを見分けるのもたいへんだが、素人を侮るなかれ。街には、玄人はだしのオヤジさんや奥さんがたくさんいらっしゃる。
気象庁の職員さんができないならば、やめてしまう前に民間委託ができないのだろうか。さらには、民間の天気予報会社のどこか、おやりになりませんか。モニター募集をしたら、私も応募します。ハイキングや街歩きの励みになりますよね。今のIT技術ならば、そういう集計にそれほどのこともなかろうと思う。
この発表は、ニュースや新聞で見るが、季節感を感じることができ、長きにわたり気象庁がおやりになった日本の丁寧な文化だ。
2020年は、コロナ禍で少し寂しく辛い年越しを迎えた。
クリスマス、その彩は寒い冬に温かみを感じ、なんとなくウキウキするようなクリスマスイルミネーションなどが少なかったですね。我が家も小さなツリーなどの飾り物も、場違いのような気がして出番なし。それでも悔しいから炭をおこして鳥を焼いて、ワインを開けて、お腹いっぱいになったものの、何か少し違うクリスマスの雰囲気。
正月の買い出しで、蒲鉾、伊達巻から数の子など、ミカンも大人買いをして、花も飾り正月の準備をした。それでも誰かが訪れることもない正月三が日。あきらめて、普段通りに過ごせば余計なお金も使わないが、それでは鬱病になるだろう。季節ごとの行事や文化に接していかないと、やはり心が寂しくなりそうだ。
人が手を下しても、狡猾に先回りをしていくウイルスにの特効薬は春かもしれない。
新年を迎えると観梅が近づく。近所の神社の梅の木々は見事で、その時期が楽しみだ。桜の花が咲く季節になれば、少しはこの事態も収まり始め、にこやかに出かけられるかもしれない。まずは、新しい年の期待感を持ちながら冬ごもりだ。
師走の異名に春待月(はるまちづき)とある。まさに、春を待つ気持ちだ。