「日本三奇」高砂市 石の宝殿、生石神社
akiramaハイキング ちょっと行きたいな
誰が何のためにいつ作ったのか、今なお多くが不思議のままな高砂市の石の宝殿、生石神社です。石でできた山の一部をくり抜くようにして、作られた巨大な石造物。その大きさは、横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mで、推定500t以上の巨石です。
浮石と呼ばれ池に浮いているように見えることで、まさに一見の価値があります。写真画像では、とてもとてもこの大きさを表現しにくいです。
目次
○ 生石神社の浮石
○ 浮いているという表現の根源
○ 作った意図は巨大な石棺か
○ アクセス
○ あとがき
生石神社の浮石
「日本三奇」のひとつで、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾、そして生石神社の浮石とされています。
生石神社
「おうしこじんじゃ」と読みます。大穴牟遅命、少毘古那命を主祭神とし、崇神天皇の御代(西暦97年)に創建されたと神社の略記に記されています。神社は、落雷による火災、羽柴秀吉に焼き討ちと、少なくとも2回は焼失しています。
浮石
6-7世紀頃に作られたと言われています。1300年くらい前ですね。
神社は、石の山の中腹に位置しますが、その石山をくり抜いた形で、この浮石は作れています。しかし、当時は鋼の石鑿(のみ)ではなく柔らかい鉄ののみで10年以上の歳月をかけて作られたと言われています。
そしてくり抜いた大量の石屑は、4kmも離れた高御位山の山頂に持って行ったと、また、池の水は、いかなる場合にも渇することがないと、神社略記にあります。水は、岩の間から染み出てくるそうで、この池により巨石は浮いているように見えます。
浮いているという表現の根源
石の下部に節理があり、地面とは切れているので、石工は「浮石」と言ったそうで、この節理は、石の下部全体に行きわたっていて、完全に分離されています。
節理とは、マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じる岩の規則性ある割れ目とのことで、自然の産物です。しかし、どうしてこうもうまく、ここに節理があり、このよう作れたものなのか不明ですが、当時の石工を指示した親方の神々しいほどの技でしょう。石山の斜面に出る節理からの推測なのでしょうが、昔の人の技は、築城のようにものすごいです。
どうやって、この底部に節理があり、最終的に運び出せると目論んで、このように作れたのかは、まったくわかりません。
作った意図は巨大な石棺か
古くからやんごとなき方々の石室などに利用された竜山石の産地で、神社の下には「法華山谷川」があります。転げ落とせば500tの巨石でも運べる水運の場所だったのでしょう。井形を組んで乗せ、堰を作り水深を出せばできるのでしょう。
そして、陸上は、修羅とコロ、梃棒で運ぶのでしょう。
高貴な方の石棺だと推測があります。その地に運んで、さらに中をくり抜いて石棺とするのだとか。
築城の石、4tの石を修羅で運ぶのに平地で150人必要と言われていますが、巨大な人力と権力が運ぶのでしょう。まあ、時の権力者に築城を命じられた大名は、それぞれ領地から運んだそうですから、想像外の出来事です。
これを作り、そして運び、さらに石棺を作り出せる「力」とは、如何様なものでしょうか。想像をはるかに超えます。
これらは、松下石材店石ころRiの松下律子氏のYouTube(JoinPlanTV)のお話を聞き、勉強いたしました。誰が何の目的で作ったのかなどの不思議ですが、松下氏のお話で随分と理解できました。
アクセス
鉄道 JR神戸線 宝殿駅下車 1.8km 徒歩25分
道路 国道250号線 高砂市竜山交差点より500m
駐車場 神社横に無料駐車場
あとがき
石の宝殿と比較にならないほどの大きさのピラミッドもそうですが、その時の権力者の力は計り知れないくらいのものだったのでしょう。生石神社の山が、ひとつの石です。神社の横から、石を削った階段を上って頂上に出ると、そこは石の山のてっぺんだとわかります。そして、周囲もすべて竜山石の山です。