国鉄時代の生き残りキハ40と希少キハ41の播但線
akiramaドライブ キハ40系を播磨但馬で追いかける
筋金入りの「鉄」ではないので普段に大した関心を現しませんが、時として無性に追いかけて鉄分補給を繰り返しているので、やはりその気はそれなりにありそうです。
観光列車や最終運行の混雑に出かけるのはきらいで、都会から離れた同業者(鉄)の少ない場所で自然を感じるのが好きです。基本は、単線非電化区間の定期運行が対象です。
鉄道写真家のページではなく、キハ40と41の残り少ない定期運航の記録ですので、芸術的な写真画像とは程遠い日の丸写真レベルの片腹痛い超素人です。
〇 気動車が好き
〇 播但線と山陰本線で定期運行
〇 生野峠
〇 あとがき
気動車が好き
ディーゼル機関をうならして走る気動車が、それも国鉄時代の代物が好きで、キハ10系、20系、40系、58系と興味を持ってきました。しかし、今は僅かに40系だけが定期運航をしています。これも残された時間は長くもなく、3桁キハに移り変わるのでしょう。
生き残りのキハ40、国鉄時代の急行型気動車の顔と大きな車体を首都圏色(朱15号)に塗色されて、普通列車でトコトコ走って来たこやつが好きです。キハ40 47 48 の3形式が基本ですが、播但線にはキハ47を両運転台にしたキハ41なる希少車両があり、ここでは、キハ40とキハ41の単行か2連の最後の活躍を興味深く追いかけ記録します。
さて、あと何年この年代物の気動車が走るのだろうか。車体は老朽化していて、錆が浮いたり外板がベコベコの金属疲労があったり、かなりの年寄りで貴重な存在でしょう。
近年の3桁キハはステンレス製の味気無さですが、通称「首都圏色」●と呼ばれる朱15号(ca4f3c)のタラコみたいな塗色が山間部の景観に映えるのが何とも言えず好きです。
それほど遠くない近い将来にキハ40系は、定期運用を終えるでしょうが、この地の最後の働きぶりを記録的に追いかけます。
播但線と山陰本線で定期運行
そんなキハ40系が身近な播但線で定期運行していて、北海道以外では定期運行の最東端かもしれません。舞台は、播但線の寺前駅から和田山駅までと、山陰本線の城崎温泉以西の非電化単線区間です。隣の非電化単線の姫新線などは大馬力の3桁ディーゼルで興味がなく播但線と山陰本線です。
非電化区間の国鉄時代の気動車が、峠を上り詰めた生野駅で同胞と列車交換で行き違ったり、若いキハ189特急はまかぜを老体は端に寄って待ち、「おやじご苦労」と言われながら交換したり、単線ならではの風景です。
生野トンネルなどの車両限界ぎりぎりの狭さが電化されなかった要因のひとつと聞きました。ということは、冬季は6連の増発臨時列車を毎日走らすほどの優等列車はまかぜがあるので、電化されなくても播但線は生き残るかな……。はまかぜが福知山線経由となると取りざたされている大赤字廃止路線が……。
生野峠
播但線の難所の峠、生野駅(海抜307m)へディーゼル機関をうならせ煙を上げての山登りは、非力なキハ40には辛いことでしょう。
新井駅から勾配が大きく、25‰勾配(wikipedia参照)を登り生野トンネル(615m)を抜けて生野駅に向かいます。反対の長谷駅からは若干緩いですが、標高300m超へはたいへんなことでしょう。線路規格でD51が使えず中型蒸気の重連やDF50にDD54が貨車や客車の補機になったというほどの急坂です。当時の姿を見てみたかったです。
それを裏付けるように、新井発生野着は、平均所要時間15分で和田山行の9分より6分も必要とされ、長谷から生野も11分:9分と2分違います。上り列車は生野駅にやっとこさ登る感じです。
長谷駅からは、市川を都合5回も渡りながら登って行く山間部は、川と山々の木々が四季の色を出す美しい景観で、ここに首都圏色のキハ40は、当分通ってみたい風景です。
朱色5号 首都圏色 現役は既にキハ40だけだと思ったらキハ120-200番台にありました。他が330psなのに200番台は250psで、非力だと首都圏色なのでしょうか。木次線を走っていると、3桁キハでも首都圏色ならば備後落合駅の閑散さに合うでしょう。見に行きたいです。
あとがき
播磨や但馬地方の四季の景観を愛でながら、しっかりとダイヤを見ながらキハ40を追いかける日もあれば、景観中心でゲストにキハという日もあるでしょう。自宅から北播磨の寺前駅まで50分の距離、身近なキハで四季を感じれるようなドライブです。
生野峠の山間部から新野周辺の田園風景を舞台にして、峠の坂に向かう姿や単線での列車交換に田園の中の単行、同じ列車を追いかければ同じ時刻の四季の移り変わりを実感できます。気長にこのページを作っていきます。